『花伽藍』より『偽アマント』/中山可穂

些細な諍いが原因で別れることになったかおりと仁子。かおりが帰宅すると、部屋からは仁子の荷物はなくなっており、おまけに愛猫のアマントまで消えていた。かおりは悲しみに打ちひしがれながら、仁子との思い出を一人回想する。
会社員のかおりと社員食堂で働く派遣社員の仁子は食堂で出会った。いつも男性顔負けに仕事をしているかおりが食堂で唯一の好物の肉じゃがが切れてしまった時に見せるがっかりした時の顔の子供っぽさに仁子は惹かれた。かおりはあからさまな恋心で見つめてくる仁子に口説き落とされ二人は付き合うことになる。映画館での初めてのデート、そして初めてのセックス。女性どうしならではの清潔感とみずみずしさにあふれていて、耽美な情景が目に浮かぶ。
私はノーマルだから女性にときめいたことなんて一度もなく二人が惹かれ合うことがよくわからない、というのは嘘で、いくらノーマルであっても街でとびっきりの美人や愛嬌のある子を見かけると、ついときめいてしまう時がある。そして自分が男性だったらああいう女性を好きになるだろうなあ、思わず空想してしまう。また、男性顔負けに男性らしい女性に出会った時も、「この人だったら別に女どうしだろうと関係ないな。」などと考えてしまう時もある。だから、かおりの男性的な風貌にときめく仁子の気持ちも、仁子のかわいらしい面に惹かれるかおりの気持ちも理解できる。
女性と男性が付き合うと、興味の向くことや考え方の違いから衝突が絶えない。いくらわかり合おうとしても、考え方の根本が理解し合えないからどこかで妥協が必要になるのが男女の仲だと思っている。だから衝突し合って壊せない壁にぶつかってしまった時には、壊すことをあきらめるという選択肢もあるので幾分気持ちが楽である。だが、同性どうしであればそうはいかない。本書を読んでいてそう思った。同性として互いの気持ちをわかりあえてしまうからこそ、衝突した時にはぶち当たった壁をどうにか壊すか乗り越えなければならない。そういった意味では異性と付き合うことより複雑で大変だ。だが、その分ひと山超えた時には男女の仲よりも深い絆で結ばれることができるに違いない。そういった意味で女性同士の仲というのも素敵だなと思う。それと同時に、バイセクシュアルの人々について、ただ一つの性を持って生まれながら、両性を等しく愛することができる点はある意味でとても羨ましい。偏見にまみれた世の中では障害も多いだろうが、両性を等しく愛することができれば、それだけ素敵な恋に巡り会う機会も増えるからだ。

花伽藍 (角川文庫)

花伽藍 (角川文庫)