『痴人の愛』/谷崎潤一郎

本作は谷崎潤一郎の作品の中でも、特に彼の西洋への憧憬が色濃く現れている。
 私はこれから、あまり世間に類例がないだろうと思われる私たち夫婦の間柄について、できるだけ正直に、ざっくばらんに、有りのままの事実を書いてみようと思います。
これが『痴人の愛』の書き出しである。ここから、主人公である河合譲治の、西洋美を追求するあまりの破滅のストーリーが幕を開ける。
譲治は独身で、生まれてこのかた女と交際したこともなく、平凡な日々を送っていた。電機会社の技師として仕事をし、物欲というものが生まれつきなかったため、別段お金に困るということもなかった。だが、ある日、偶々入ったカフェエで給仕をしていたナオミと出会ってひと目惚れをし、譲治の人生は転落の一途を辿ることになる。ナオミは十五の歳であった。それに対し譲治は二十九歳。二人が交際をするにはあまりにも歳が離れすぎていたが、譲治にとってはこの世に女はナオミ以外に考えられなかった。というのも、譲治は強い西洋嗜好の持ち主であったからだ。音楽や身なり、暮らしまでも西洋の真似をしていた譲治にとって、ただ一つだけ足りないものは、西洋風の妻であった。ナオミは混血児のようないでたちをしていた。手足は同世代の寸胴な女たちとは違い、まっすぐに伸びており、目鼻立ちもくっきりとしていた。そして何より、色白い肌の持ち主であった。貧しい家庭環境にあったナオミは、お金があれば英語と音楽の勉強がしたいと譲治に言う。そこで譲治は、ナオミを引き取って学校に行かせてやり、自分好みの西洋風の女に育て上げて結婚してしようと目論むのだ。
 これで私たち夫婦の記録は終りとします。これを読んで、馬鹿馬鹿しいと思う人は笑ってください。教訓になると思う人は、いい見せしめにして下さい。私自身は、ナオミに惚れているのですから、どう思われても仕方がありません。ナオミは今年二十三で私は三十六になります。
という文で締めくくられている。締めの文章から、譲治の自虐的な一面がうかがえる。譲治の容姿は、お世辞にも美形とは言い難かった。肌の色はどす黒く、背丈は低く、そして猿のような顔つきをしていた。家でナオミと二人でいる時は自分の容姿のことを考えることもないのだが、ナオミと連れだってダンスホールなどに行く時には、いつも気後れしていた。そして、その気後れからナオミに常に気を使い、譲治が気を使えば気を使うほどナオミはつけ上がった。ナオミに必要以上に肥しを与え過ぎたために、気品のある女性を通り越して、淫婦に成長させてしまった。その妖艶なナオミの姿は、谷崎の初期の代表作でもある『刺青』の女郎蜘蛛の刺青が象徴する「悪」と「美」との不思議な諧和を思わせる。
「馬鹿馬鹿しいと思う人は笑ってください」や「ナオミに惚れているのですから、どう思われても仕方ありません」という自分を評している点から、自分を客観視して評価しており、ナオミに溺れつつも一定の理性は保てていることが分かる。自分でも愚かな行為をしているとも思いつつ、これが自分の生き方であるとある種開き直って見せている。作者である谷崎は、譲治を通して、自身の西洋崇拝ととことん美を追求することの陶酔の喜びを描きたかったのではないだろうか。谷崎は『刺青』の中で、「『愚』と云う貴い徳を持って」と書いている。谷崎にとっては、内面ではなく、外面の美のみを追求する愚かな行為は、非難されるものではなく、貴い徳であったのだ。

痴人の愛 (新潮文庫)

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