『団欒』/乃南アサ

本書を読み終えた後、私はなぜ父と母、そしてたった一人の兄弟である兄のことを家族として受け入れ、好きになることが出来たのだろうと不思議に思った。
解説で有吉玉青さんも述べているように、父と母は互いに好き合って結びついたわけだから一緒にいる理由はまだわかるが、それ以外の家族のつながりは単に血がつながっているだけに過ぎないのである。だが、人々はそのことについて深く考えずに、家族という名の絆を信じこみ、ことあるごとに「家族なんだから」と言いたがる。それは、ある意味では少し不気味な光景だ。
「ママは何でも知っている」では、恋人の加奈の家に婿として迎えられた優次が、その家族の異常な仲の良さに葛藤する。彼女の家では、歯ブラシは家族共有で、いくつになっても家族で一緒に風呂に入り、極めつけには夫婦間の性生活についてまで家族にあけすけに話す。優次がたまに反論して見ても、「家族なんだから」の一言で片づけられてしまう。大した理屈もない安直な一言で済んでしまう家族という絆が不思議で仕方がない。
また、「ルール」と「団欒」では、この家族と言う不可解な絆によって、とんでもない団結力が生まれる。息子が急に潔癖になったのをきっかけに、母と娘まで潔癖になって家の中を清潔極まりなく大改造を始め出す「ルール」。そして、家族間で家の中を清潔に保つためのルールを立てるが、このルールを守るのが一番厳しいのが父である。家族のために働いて疲れて帰宅してそのまま寝てしまうと、翌朝娘からは汚いとののしられ、息子には白い目で見られる。こんな不憫な父親がどこにいるであろうか。いや、最近の家庭ではどこも父を汚いもの扱いしたがるか。そして、父に聞こえるくらい大きな声で、「父を隔離しよう」などと相談事をする。「家族だから家族内のルールくらい守れ」と言われれば、それまでかもしれないが、なぜ単に血がつながっているに過ぎない息子のわがままに付き合う必要があるのであろう。しかし、優しい父は心身共にぼろぼろになるまで家庭内ルールに付き合ってしまう。
息子が恋人を誤って殺してしまった、そこから物語が始まる『団欒』。そう告げられて父がまっさきに考えたことは、自分の保身であった。父と同様、母は今後日の当らない場所で暮らしていくことになるであろう自分の身を心配し、妹は兄が犯罪者ということで将来結婚できなくなると自分の不幸を嘆く。そして当の兄は、恋人の死を悲しむのではなく、自分が家族から軽蔑されることを一番に恐れている。利害が一致して、死体を始末することになるが、家族という絆によって、このような非情な団結力が生まれるから恐ろしい。
これら三つの物語は、家族の不気味さを鋭く突いている。そんな中で、曙光を見せてくれるのが「出前家族」だ。意地悪な息子夫婦と三世帯住宅で暮らす實は、ある日突然現れたレンタル家族の優しさに触れ、レンタル家族を本物の家族と信じ込むようになってしまう。家族である自分に不当な扱いをする本物の家族よりは、嘘の家族でも暖かい家族の方がいいと言うのである。この實の主張こそが、「家族」というつながりに明確な答えを出している。私たちが、「家族なんだから」の一言で様々な事を片づけてしまうことができるのは、それまでにお互いに助け合って共に生きてきたことで絆がいつの間にか育っていたからなのである。そう、「家族」という名の絆は、生まれた時から存在するものではなく、生まれてから一緒に育てていくものなのである。単に血のつながりがあるだけで、家族の絆を主張している家族などは、本当の家族とは言えないのだ。

団欒 (新潮文庫)

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