『悪の教典(上・下)』/貴志祐介

貴志祐介の最新作。主人公でサイコパス(精神病質)の蓮実聖司の恐ろしい犯行を描いている。

蓮実はハーバード大卒、アメリカの大手投資銀行に勤めていたという華々しい経歴を持ち、現在都内の高校で英語教師をしている。学内で起きる問題も速やかに解決し、教師や保護者、そして生徒からの信頼も厚い。数名を除いては。蓮実の担任するクラスの生徒片桐怜花は幼いころから危険な人物を察知するのが得意であった。そして、怜花は蓮実にも危険なにおいを感じていた。同じく、怜花の親友の圭介もまた蓮実には警戒していた。そして、怜花、圭介、雄一郎の三人は蓮実の身辺調査を開始する。調査を開始していく内に蓮実の恐ろしい素顔と、学校で起きた不可解な事件の真実が明らかにされていく。それと同時に、怜花達三人に危険が迫る。

サイコパスとは日本語では精神病質と訳され、連続殺人犯やカルトの指導者等によくあてはまるらしい。蓮実は幼いころから殺人を重ねており、最初は小学校の親友、中学の恩師、そして両親までも殺めてきた。そして、本作のメインステージである蓮実の勤める高校での蓮見の人生史上最大の殺戮イベントが幕を開ける。

読み終えた後の率直な感想として、分厚い見かけに比べ内容が非常に薄いということ。貴志祐介と言えば、映画化された『黒い家』や『ISOLA』が有名で、どちらの本もそれぞれ専門的な知識を駆使して深いところまでとてもよく書かれた作品であった。『黒い家』では著者自身が保険会社に勤務していたという経験から保険の知識を盛り込んで、そして『ISOLA』では多重人格障害について取り扱っていた。入念に調べられた専門的な知識には一分の隙もなく、読者をひきつけるものがあった。加えて、貴志祐介と言えば心理学に興味があるのか、ほとんどの作品で心理学について何かしら取り上げている。先に挙げた二作品の他にも『天使の囀り』や『新世界より』でも心理学について触れている部分がある。だが、本作に当たっては心理学について触れる場面もごくわずかで、かといって他の知識を全面的に駆使しているかと言うとそういうわけでもない。ただ単に殺戮のシーンを描いたという軽薄な印象を受ける。Amazonレビューでも多かったのが、バトルロワイヤルに似ているという感想である。私もこの意見には賛同する。特にラストの校内での大量殺戮のシーンは非常に近いものを感じる。前作の『新世界より』がいささか複雑なテーマになってしまったから、今作が余計に軽いストーリーに感じられるのかもしれないが、いずれにしても山田悠介のような少し低レベルなホラーになってしまったことは否めない。
著者のファンに最も人気のある作品が『天使の囀り』である。その作品では冒頭部分はヒロインの恋人から送られてくる手紙の内容をつらつらと書いていて、それがあまりにも長すぎて一体人々が動き出すのは何ページからなのかとやきもきさせられるのだが、その長い文章に耐えて行くうちに手紙の内容から少しずつだがヒロインの恋人の異常さが垣間見られ、それが作品全体の恐怖の引き金としての効果を後々まで発揮している。こういった、読む人をうんざりさせるほどの長い文章が著者の作品の持ち味でもあるのだが、今作はあっという間に読み終わってしまうような良く言えば実に単純明快な内容であった。読む人を飽きさせないという意味ではいい文章なのかもしれないが、著者らしさが欠ける作品で、久々の新刊にかなりの期待を寄せていた分とても残念であった。次回作の『ダークゾーン』に期待しようと思う。

悪の教典 上

悪の教典 上

悪の教典 下

悪の教典 下

『スタンドアップ〜North Country』

2005年に公開された1988年に起きた実際の炭鉱での男性職員によるセクシュアルハラスメント訴訟を元にした映画。
シャーリーズ・セロン演じるジョージーはDVの夫から逃げるようにして子供2人を連れて実家に帰ってくる。実家近くの美容院に勤めるようになるが、給料は安く両親の世話なしでは生きていけない状況に立たされる。そんなある日、偶然美容院に客としてやってきた旧友グローリーから炭鉱での仕事を紹介される。しかし、炭鉱で働く父親のハンクは「女の働く場所じゃない」と猛反対する。だが、ジョージーは給料の良い炭鉱の仕事に父の反対を押し切って就くことを決意する。
本社のピアーソン社から採用通知を受け、晴れて炭鉱で働くことになった。だが、通勤初日の顔合わせの時に現場担当部長からセクハラに受け取れる発言を受ける。実際に仕事を始めてみると、言葉以上のセクシャル・ハラスメントがジョージー達女性労働者を待ち受けていた。
日々続くセクシャル・ハラスメントの苦痛に耐えながらも子供たちのために働くジョージー。ジョージーがやって来る以前から働いている他の女性労働者達は心を殺してセクハラをやり過ごしている。ある一人の女性労働者に至っては、自分から「1回5.00ドル」という皮肉めいたメッセージ書きをしている。だが、ジョージーだけは女性だけが屈辱的な目に合うことにどうしても耐えられなかった。ついに、ピアーソン社を告訴することを決意し、辞表を出す。グローリーを介して知り合った弁護士のビルを味方につけ女性労働者対ピアーソン社の裁判が始まる。
実話は世界初のセクシャルハラスメント訴訟となった。これを踏まえると実に意味深な映画だ。当時の炭鉱業に女性が進出することは、女性が男性の職を奪うという風に男性からは受け取られ、その嫌がらせとして過度なセクハラを受けた。裁判で女性労働者側が勝利を収めたことで、それ以降、他の企業でセクハラへの対処が見直された。

スタンドアップ 特別版 [DVD]

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『スリーパーズ』

この作品をWOWOWでたまたま見かけた時、思わず見入ってしまった。少年院で少年達が看守に性的虐待を受けるシーンが見ていられないほど酷かったからだ。
1960年代のNYはマンハッタンの西側「ヘルズキッチン」と呼ばれるスラム地区に住む仲良し4人の少年達。整った顔立ちでリーダー格のマイケル、小柄だが気の強いジョン、読書好きでこの映画の主人公のシェイクス、そして大人しくて目立たないトミーはいつも仲良くつるんでいていたずらばかりしていた。
だが4人はある日、ささいないたずらで一人の男性に傷害を負わせ、少年院に入れられてしまう。そこで待ち受けていたのは班長のノークスをリーダー格としたサディスティックな看守たちであった。入院当日の深夜、早速彼らはノークス達の餌食となる。深夜寝ていると壁を警棒がつたう音が聞こえてきた。その音はシェイクス達の部屋の前で止まり、4人は呼び出しを受けた。黙ってノークスについて地下に行くと、そこには酒を飲んで酔っ払った数人の看守たちがいた。看守たちの目の前でシェイクス達4人は一列に並ぶように指示される。ノークスはマイケルの目の前に立つと、ズボンのジッパーを下げた。そして、セックスも経験したことのないマイケルは男性器を口に含まされるのであった。それから地獄の日々が始まった。日中は暴力を振るわれ、夜になると性的虐待を受けた。4人は顔立ちが整っていた方なので、看守達のお気に入りとなり出所するまで毎晩呼び出しを受けることになる。
大人になった4人はみなそれぞれの人生を歩んでいた。マイケルは地方検事となり、シェイクスは新聞記者となった。ジョンとトミーはやくざに身を落として、毎日二人でマンハッタンを徘徊していた。ある日、ジョンとトミーは入ったバーで班長のノークスに偶然出会う。そこで衝動的に銃殺してしまう。裁判が始まったが、何と検事はマイケルであった。そこでマイケルは知恵を働かせ、新聞記者となったシェイクスと協力して看守への復讐計画を企てる。少年時代にお世話になっていたボビー神父や、ギャングのキング・ペニー、アル中の弁護士スナイダーの協力を得てジョンとトミーの無罪を勝ち取ることに成功する。元看守の一人は証人として出廷し、目の前で罪が問われ、また他の看守たちについてはあるものはマフィアに殺され、あるものは汚職と殺人で逮捕された。
看守たちの罪が世間に明かされ、4人と幼馴染のキャロルは祝杯を挙げるが、心の傷は消えていない。この傷は一生消えることはない。最後まで絶望的な映画であった。映画の終りに再び4人の少年達の映像に戻る。小学校で楽しくクラスメイトと遊んでいる映像だ。出来るなら少年院に入る前の汚されていなかった自分達に戻りたい、という思いが表れているようなシーンでとても印象的だ。
この映画のキャストについて、大人になったマイケルにブラッド・ピット、弁護士スナイダーにダスティン・ホフマン、ボビー神父にロバート・デ・ニーロ、ノークスにケビン・ベーコンととても豪華であることもこの映画の特徴。1996年の映画で少年役として出演した4人の少年達の中で今も俳優を続けているのは、トミー役のジョナサン・タッカーのみである。残念なことにマイケル役のブラッド・レンフロは25歳という若さで数年前になくなった。性的虐待の映画の中でもとても重苦しく、しかも虐待される少年達の顔立ちが整っているとなおさら気の毒になってくる。見ていて始終いたたまれなかった。

スリーパーズ<DTS EDITION> [DVD]

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『夏子の冒険』/三島由紀夫

本書の主人公夏子はわがままお嬢さんだ。裕福な家庭の一人娘として生まれ、自分の思い通りにいかなかったことなどこれまでに一つも無い。家族が夏子に反対すれば、すぐに家出をし最後には家族全員が渋々夏子の言うことを聞いてしまう。だが、単なるお馬鹿な世間知らずのお嬢さんと言うわけでもなく、彼女は人生に情熱を持っており、それゆえにありきたりな物事や言い寄ってくる青年達には何の興味も抱くことがなかった。そして退屈過ぎる人生に絶望した夏子は、とうとう出家をする決意をする。そしたら大変!母、祖母、伯母の三人は大慌て、ただ一人父だけがいつも通りの夏子のわがままにただただあきれ果てるばかりであった。そして出家をめぐるドタバタコメディが幕を開ける。
三島由紀夫の小説と言うと色恋沙汰が付きものである。幕開けそうそう、夏子は一人の青年と出会う。彼の名前は井田毅。以前、好きだった女をクマに殺されその敵討ちをしに北海道に向かうところであった。好きだった女の仇打ちに燃える青年の瞳はきらきらと輝いていて、夏子がこれまで出会った青年達とは大きく違っていた。そう、夏子はこの時初めて恋に落ちたのだ。そしてわがままを言って危険なクマ退治について行き、行く先々で多くの人々に出会い、様々な思いが交錯する中で、夏子の心に大きな変化が生まれる。
このドタバタコメディにスパイスを加えるのが、野口という青年と不二子と言う美少女である。井田の友人で北海道で新聞記者をしている野口は可憐な容姿とは裏腹に気の強い夏子を好きになってしまう。夏子が井田を好きであることを知っていながらも、恋心からついつい夏子をフォローする。そして牧場で登場するのが野生的な美しさを持つ不二子である。不二子は夏子と違い、貧しい家庭で育ち、ずっと牧場の仕事にいそしんできた。そのため家事全般がよくでき、気の付く女で井田の世話をつきっきりでする。それを見た夏子は、自分が容姿以外には女性として優れたところが一切ないことに絶望し、そして夏子の出来ないことをことごとくこなす不二子に強く嫉妬する。以前ならば他人に嫉妬することなどなかったのに、井田に対する恋慕のあまり少しずつ夏子の内面に変化が出始めていたのだ。こうして夏子は物語の中で、単なるわがままお嬢さんから少しばかり脱皮をする。
現代の二十歳前半の女性から見ると夏子の境遇は何と羨ましいことか。敗戦から数年後の日本では大抵の両家のお嬢さんは名門高校や名門短期大学を出て見合い相手と結婚するのが普通であった。私たちの世代の女性は就職活動に四苦八苦し、たとえ結婚したとしても子供育をするにはよっぽど裕福で無い限り共働きをしている場合が多い。そんな現代の女性から見れば、就職の心配もない、家計の心配もいらない夏子の境遇は羨ましいばかりである。だが、何もかもあらかじめレールが敷かれている人生がいかに退屈であるか、物語の前半で夏子は嘆いている。もしかしたら、現代に夏子が生きていたら、思い通りに行かない就職活動にさえも退屈しのぎとしての魅力を感じ、瞳を輝かせて挑んでいたかもしれない。私たち現代を生きる女性も、世の中に飽き飽きして出家をしたいと思えるくらいになるまで、自分の人生を存分に楽しまなければ損である、と前向きに思わせるような非常に快活で楽しい物語であった。

夏子の冒険 (角川文庫)

夏子の冒険 (角川文庫)

『飼育する男』/大石圭

角川ホラー文庫貴志祐介さん以外の作品を読むのは今回が初めてであった。貴志祐介さんの作品が専門知識を駆使して書かれているのとは対照的に、大石圭さんの作品は大石さんの頭の中に浮かんだ残酷な映像をそのまま文章にしたという印象を受けた。あとがきで著者自身も、「頭の中に浮かぶおぞましいことを実行したら犯罪者になってしまうから文章にした」と言っている。
ストーリーの内容は、裕福に暮らしている三十代の安藤龍之介という男が、少年時代に拾った猥褻な雑誌をきっかけに女性を飼うことに興味を持ち始め、その欲求を実行するというもの。両親を亡くし、財産だけは豊富にある安藤は、大きな家に愛犬のシェパード二匹と、六人の飼い犬ならぬ飼い女と暮らしている。拉致されたばかりの女たちは初めは反抗するものの、安藤による性的な虐待や過酷なしつけにより次第に脱走することをあきらめ、無表情な奴隷と化していく。
だが、全ての女がすっかり希望をなくしてしまったわけではない。5号室に幽閉されている香山早苗は奴隷となる前は国際線のCAとして働き、婚約していた恋人もおり幸せに暮らしていた。信念の強い早苗は安藤のしつけにも最後まで抗い、決して服従しなかった。また2号室の宮坂深雪は駆け出しのアイドルだったが、安藤に拉致されたことでアイドルの道を閉ざされ、成人式を暗い地下牢で迎えることになった。自殺未遂を起こせば外に出してもらえると思い、自殺を試みるも見殺しにされてしまう。そしてこの物語のヒロインでもある6号室の水乃玲奈だ。彼女は元モデルで夫とまだ幼い一人息子と平穏に暮らしていた。最後まで脱走を試みるも失敗に終わってしまう。
面白いことに、反抗をしなくなる女たちもいる。1号室に住む白石慶子は拉致された当初は反抗したものの、監禁されて数年経った今では自分から安藤を性交に誘う。すっかり脱走を諦めて、地下牢での暮らしを満喫するようになったのだ。また、4号室の木村京子は特殊な存在で、元は安藤の父親の愛人であった女だ。安藤よりも二十も年上で、拉致されているというよりは安藤邸の寄生虫のような存在である。
この女たちに共通していることは皆美しく輝いているということだ。安藤は子供のころに魅了されたカラスアゲハのように美しい女たちを求めているのである。カラスアゲハの標本のように裸にされた女たちのいる六つの小部屋を想像すると思わず身震いする。またカラスアゲハにやったことを人間の女たちにもそのまま顔色一つ変えずに実行してしまう安藤の異常さに恐怖する。
女性の監禁をテーマにした作品はこれまでにも様々輩出されている。日本の映画では『完全なる飼育』が本作に近い作品ではないか。だが『完全なる飼育』は監禁した者とされた者の純愛を描いており本作と内容に大きな違いがある。また、外国の作品を挙げると映画『コレクター』が本作に非常に近いストーリーではあるが、最後には救われるので本作と少し違う。これだけ多くの映画や小説の題材になるほど監禁という事件は世の中で頻繁に起きている。本作は本当に最後まで救われない、さすがは角川ホラーと言わしめんばかりのストーリーになっている。読む人はそれを理解した上で読まないと、ただただ嫌悪感に苛まれて終ってしまう。エンターテイメントとして楽しむのがベストである。
それにしても監禁やレイプといったテーマはどうしてこれほどまでに人々を引き付けるのか。私などはこういった作品を「自分がこんな恐ろしい目にあわなくて良かった」などと、不幸に見舞われた登場人物たちに優越感に似たものを感じながら読んでいることが多い。例えて言うなら、コロッセウムで剣士達が殺し合うのを安全な観客席で傍観している富裕層の気持ちに近い。人間誰しも心の奥底に残酷な部分がある。その残酷な欲求を満たすために、角川ホラー文庫があり、PG−12指定の映画があるのだ。あとがきで著者は「実行したら犯罪者になってしまうから、それを避けるためにペンをとって紙におぞましい想像を書きだした。そしたら残酷な気持ちがなくなった」と述べている。確かに本作は著者の想像を書きだしたものであるが、それとともに、読者の心に潜む残酷さを書き出したものでもあると私は思う。

飼育する男 (角川ホラー文庫)

飼育する男 (角川ホラー文庫)

『放課後の音符』/山田詠美

この本を読んだ当時、私は高校1年生でちょうど主人公と歳が近かったこともあって、主人公にすごく入れ込んでしまったことを覚えている。主人公は7人の友人や先輩を通して、恋愛について考えを深めていく。この本の中で主人公の名前は意図してなのかなぜか一切出てこない。主人公と呼ぶのもおかしい気がするので彼女と呼ぶことにする。
8つあるストーリーのうち7つでは、彼女は一傍観者である。7つのストーリーでは、彼女のませた友人や先輩が主役だ。『Body Cocktail』『Crystal Silence』では大人びている友人の恋愛模様を、『Brush Up』では帰国子女でませた友人のあけすけな恋愛話を、『Red Zone』では恋人に振られた友人がみるみる綺麗になっていく様子を、『Jay-Walk』では友人の恋人を平気で寝とるが憎めないクラスの問題児を、『Sweet Basil』では好きな男が他の女の子に恋に落ちる瞬間に胸を傷める切ない話を描いている。
どのストーリの主人公もみな恋愛に対しひたむきで、読んでいてすがすがしい。特に、自分を魅力的に見せることに関してはとても一生懸命である。『Body Cocktail』でカナは自分の足首を美しく見せるアンクレットをソックスの下にはいている。ソックスの下に付けているわけだから、校内の男の子達はそれを見ることは無いわけで、そのアンクレットはカナが恋人とベッドに入る時にだけ効果を発揮する。真っ白なシーツの上で揺れるシルバーのアンクレットはさぞ美しいことだろう。『Jay-Walk』ではヒミコがあらゆる男性を虜にするため、真っ赤な口紅を引いて、ハイヒールで夜の街に繰り出す。純情を装っているクラスの女子生徒からは悪口を言われ放題だが、そんなことはお構いなしに目標物に向かって自分を彩るヒミコは女として一番正しいことをしている。
一般的に男性に好かれたい服装=清楚な服装という概念があって、皆自分の好みのスタイルを我慢してまで、こぞって同じようなパステルカラーのツインニットやひざ丈スカートで純情さを押し売りしている。けれど、そんなのつまらない。皆それぞれチャーミングなポイントがあって、それは人それぞれ違う。太っていることを気にしている子がいたりするけれど、柔らかそうな体は骨ばっている男性から見たらとても魅力的だし、その魅力を十分に引き出せる胸のあいた服を着ればいい。華奢な子は手首や鎖骨のきれいな女の子は、さらに華奢なブレスレットやVネックのシンプルなセーターで鎖骨を引き立たせればいい。好きな異性がいるのなら、その人だけに見てもらえればいいのであって、一般的な男性の好みを考慮する必要はないのだ。その点で、この本の登場人物たちは一途で素直で美しい。
また、どのストーリーの主人公たちもセックスに対して邪念がなく、一生懸命に考えている。『Brush Up』に出てくる帰国子女の雅美は、髪にパーマをあて、真っ赤なマニキュアを塗り、一見するととっくにヴァージンを失っているように見えるのだが、実はそうではない。「心も体も準備ができてないって思うんだ。準備できてないのに、ネタって、たぶん、面白くないと思う。」という台詞には、目からうろこであった。大抵の女子高生は、未熟で愛することよりも性への関心が強く、ヴァージンを早く捨てることに躍起になっている子が多い。ヴァージンを失うことが、大人になるということではない。むしろ、ヴァージンであっても愛のあるセックスをしっかりと認識していることが大人であるということではないか。
8人の恋愛模様は素直で美しく、大人びているのにかつ少女らしさもある。解説で掘田あけみさんが「あの薄紙に包まれた本を、学生鞄にしのばせたかった」と悔やむくらいこの本は思春期の恋愛を素敵に描いている。私は運よく、この本に高校生の時に出会うことができたので購入した当時は二週間くらい学生鞄の外ポケットに忍ばせていた。残念ながら通っていたのが女子高だったため、彼女のような素敵な放課後を送ることはなかったけれど、この本を読むことで、当時の私も彼女のように心は少しでも成熟したのではないかなと思う。

放課後の音符(キイノート) (新潮文庫)

放課後の音符(キイノート) (新潮文庫)

『心の処方箋』/河合隼雄

本作は2007年にお亡くなりになられた河合隼雄氏の名著である。1992年に刊行され、多くの人から読まれてきた。わたしがこの本を手に取ったきっかけは、中学時代に通っていた塾の経営者の勧めである。塾長は河合隼雄のファンらしく、他にも数多く河合隼雄の作品を読んでいた。数ある名著の中でこの本を勧められたのは、比較的内容が易しく、また受験を控えた当時の私たちの心の支えとなることを望んだからかもしれない。
さて、肝心の内容についてだが、表紙をめくって最初に目に入ってくる目次をさらってみると、どの項目もうまいタイトルの付け方をしており、どこから読み始めたものか悩むものである。タイトルそれぞれが、まるで美容整形のメニュー覧のように患者が求めるものが端的に表わされている。目次通りに最初から読んでみてはつまらないと思い、私はその時自分が抱えている悩みに合わせて自分で処方して(選択して)読んでみることにした。ここでは、これまで私が自身に処方してみた二つの処方箋について挙げてみる。
『やりたいことは、まずやってみる』
何か新しいことを始めたいと思った時に、実際に踏み込む際にはかなりの勇気がいる。時には、両親や教師など周りの大人から猛反対されることもある。だが、人生は一度きりなのだから、自分の思うように行動したいというのが本音であろう。そう心の中では思っていてもいざ実行するとなると、どうしても周囲の意見が気になったりして、なかなか踏み込むことができない。特にそういった時に考えてしまうことが、「新しいことを始めた結果失敗してしまったらどうしよう」ということである。自分よりも長い人生を送ってきた大人達からは「だから忠告しただろう」と言われてしまうかもしれない。失敗した時のことを考えれば考えるほど、新しいことを始めることに億劫になるし、その分ロスも増える。そんな思いを抱いていた時に、この処方箋は私の後押しをしてくれた。私は何か新たにチャレンジしたいことに出会う度にこの章を読むようになった。
『心の新鉱脈を掘り当てよう』
心の新鉱脈とは心のエネルギー源のことである。私は、大学生になり絵にかいたような青春を味わってみたいと思い、音楽のサークルに入ってみた。初めて触る楽器も思いのほか楽しく、先輩や同期にも恵まれてとても楽しい日々を送っていた。二年生に上がる時に、就職活動のことを考えて、このまま単に楽しいだけのサークル活動をしていていいものか悩み、結局辞めてしまった。そして、やめてからは余ったエネルギーを勉強にでも費やそうと以前から学びたかった会計に関する勉強を始めた。だが、実際は有余ったエネルギーや時間をうまく使うことができず、大学の授業の出席率も以前よりも低下したし、会計の勉強にもそれほど打ち込むことができなかった。今思うと、サークル活動が自分の生活の中心軸になっており、一定のリズムをうまく作っては、少ない時間をやりくりしようとして、良い生活リズムを築いていたのかもしれない。また、サークル活動は大変なだけでなく、仲間と出掛けたり飲んだりと言った楽しみもあって、エネルギーの供給源になっていたのかもしれない。よく認知症の年寄に簡単な家事などの仕事を与えたことで、認知症の進行が遅まったなどの実例がある。これも同じことである。簡単な家事をこなすことが心の新鉱脈となり、新たなエネルギーを供給できるようになるのである。
以上の二つの処方箋について実体験を交えて紹介したが、本著には他53の処方箋が処方されている。多くの人が何かしらの悩みを抱えて日々を送っていると思うが、重度の悩みで無い限りはこの55の処方箋で対処できるはずだ。ここまで言い切れるだけ、本著の内容は悩める人間に決して強制しない優しい言葉で、的確なアドバイスを提供してくれている。

こころの処方箋 (新潮文庫)

こころの処方箋 (新潮文庫)